大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和47年(わ)123号 判決

主文

被告人を罰金二、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人白石熊男、同佐伯義則(二回)、同高田義新に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中、公務執行妨害、傷害の点については、被告人は無罪。

理由

(本件犯行に至る経過)

一  国鉄労働組合(以下国労と略称する)は、昭和四五年七月に長崎市で開催された全国大会において決議された基本方針に基づき、昭和四六年三月一八日の第九三回中央委員会で討議のうえ、一万九、〇〇〇円の賃金引き上げを骨子とする賃金要求を決定し、ストライキに訴えてでも右要求を貫撤しようという内容の春闘方針を決議し、更にその際、当時日本国有鉄道(以下国鉄と略称する)当局が推進していた生産性向上運動(いわゆるマル生運動)に反対して闘う方針を確認した。右第九三回中央委員会の決定に従い、国労中央執行委員会は、中川新一委員長名で、国鉄当局に対し、同年三月二〇日に賃金要求書を提出し、国鉄当局との間で団体交渉を開始したが、当局は、三月二三日に組合に対して提案した二二項目の合理化案を楯に、提案中の合理化事案の解決に全力をあげることとし、賃金問題はその進展をまって交渉したい旨の回答をした。その後の数次の団体交渉においても、国鉄当局が賃金問題に関しての回答を避けたために、事態を憂慮した国労は、同年五月一四日に指令第二二号をもって、同月一八日午前零時から同月二〇日午後一二時までの間の波状的ストライキを行う旨を各地方本部に指令した。

二  国労門司地方本部に対しては、鹿児島本線香椎地区を拠点とする五月一八日午前二時から一二時までのストライキの実施が指令されたので、門司地方本部は翌一五日に支部代表者会議を開いて各支部に指令の内容を伝達し、一六日には香椎分会が所属する博多支部の指導部会を開いたうえで、任務分担を決める等して、ストライキの準備体制に入った。被告人は、当時国労門司地方本部博多支部書記長をしていたが、被告人に対しては、一八日の香椎機関区の現場におけるスト突入指令の伝達や説得行為の任務が課せられた。

なお、本件ストライキの実施にあたっては、乗務員や職員を他に強制連行したり、列車の前面にピケットを張ったりするような実力行使等は全く予定せず、組合員各自の自主的な意思によってストライキに参加するという、いわゆる「自主参加方式」の戦術が採用された。

三  一方、同年五月一七日午後五時すぎころ、当時の国労門司地方本部副委員長高田義新外一名から、国労が香椎駅を拠点としてストライキを決行する旨の通告を、同駅長白石熊男を通じて受けた国鉄当局は、同駅前の浜男旅館にストライキ対策本部を設けるとともに、同駅構内輸送本部の中にも右駅長を長とする現地対策本部を設置し、かねて準備してあったストライキ決行時の幹部配置計画にもとづく、国鉄の正常な業務遂行のための人員配置を行い、それに伴う指示ないし命令も発し、更に、部外者の駅構内への立入りを禁止する旨の駅長名義の掲示をするなどしてストライキに対処する準備を整えた。同駅助役田中穰に対しては、前記白石駅長から、ストライキ突入時に同駅構内の連絡転てつ詰所に赴き、同詰所勤務員に対する指導、ストライキに伴う違法行為の現認をするとともに、勤務者が職場を離れてストライキに参加する場合はこれに代って同詰所の業務を行うようにとの指示が既になされていた。一方、同駅勤務の国労組合員佐伯義則は、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する)に違反するとして、国労のストライキには反対の立場をとっていたため、同月一四日ころ、国労香椎分会三原書記長から説得されストライキ参加を呼びかけられてもこれに不参加の意思を表明し、同月一六日ころには、当時国労門司地方本部博多支部書記長であった被告人からストライキ参加を説得された際にも、これに対して直接に、ストライキには参加しない旨伝えるとともに、同駅の山下助役に対しストライキに反対であるから職場から拉致されないように身辺を保護してほしい旨申し入れたうえ、同月一七日午前一一時ころから同駅構内の連絡転てつ詰所において勤務についた。又、同日午後七時ころから国労組合員が香椎駅構内に集まりはじめ、やがてその数は二、〇〇〇名を越えたため、国鉄当局は、業務の正常な運営を阻害する状態になったとして、前記高田副委員長に対し、書面で退去通告を発すると共に、翌一八日午前零時から拡声器により多数回にわたって、同駅構内から退去するよう警告した。

田中助役は、同月一八日午前二時から決行されるストライキに備え、白石駅長の指示に従って同日午前一時すぎころ、前記転てつ詰所に赴いた。その後、同日午前一時三〇分ころ、被告人が国労組合員一〇数名と共に同詰所前に来て入室しそうな気配を示したため、同助役は、同詰所は駅長が勤務者以外の立入りを禁止している場所であるところから、「中に入ってはいかん」といって、入室を禁ずる旨を明言したが、被告人が「お茶を飲まさんな」というので、湯茶を飲むだけの入室なら許可してもよいと考えてその詰所内への入室を敢えて阻止しなかった。ところが、被告人はお茶をついだ後、勤務を交替して仮眠の準備をしていた前記佐伯義則に話しかけたので、これを見た田中助役は、被告人が、かねてからストライキ不参加を表明していた右佐伯をストライキに参加させるために説得しているものと判断し、被告人に対して詰所外に出るように注意したところ、被告人は同所から退出した。そこで、田中助役は、同日午前二時ころ、前記詰所の出入り口の引戸を約四九センチメートル開き、左手で出入口柱をつかみ、右手を引口戸の外枠部分内側にあてて、室外に向かって立ちふさがり、被告人が再度入室するのを阻止する態勢をとった。このころ、同詰所の出入り口付近には、組合員一〇数名が田中助役をかなめとするように扇形に、数名は入口前のたたきの上に、その他の者はその外側に立って、銘々、田中助役に向かって、「酒を飲んどろうが」等の罵声を浴びせるなどし、更にそれらの組合員の外側には当局側のいわゆる現認要員が六名位立って、右状況を眺めていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四六年五月一八日午前二時ころ、福岡市東区大字千早二番地の二国鉄香椎駅構内所在の連絡転てつ詰所出入り口付近において、同詰所内にいた、かねて右ストライキに不参加の意思を表明していた同駅操車係で国労組合員の佐伯義則(当時四二年)に、右ストライキ突入指令を伝達したうえ、これに参加するよう同人を説得するため同詰所内に入室しようとして、同詰所出入り口に前記のような姿勢で立ちふさがっていた同駅助役田中穰(当時四四年)に、両腕を胸のあたりに組んで腹を突き出して対峙し、右田中助役との間に「はいらさんな」「だめだ」などと約一分間にわたって押し問答をくりかえしていたところ、同詰所に向って被告人の左側に立っていた江崎道嘉が、前記ガラス引戸の外枠に手をかけて引戸を全開し、田中助役の右腕がまっすぐに伸びた状態になり、その下に空間ができたので、突嗟に、この空間を通り抜けて入室しようと考え、身をかがめ、まず左足を室内に入れ、それからその左足を軸にして右まわりに、田中助役の右腕の下をくぐるようにして後ろ向きに同詰所内に入室し、もって香椎駅長の看守する建造物に、故なく侵入したものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人及び弁護人らの主張)

被告人及び弁護人らの主張は結局被告人の本件連絡転てつ詰所(以下本件詰所と略称する)への立入りは労働組合法一条二項により違法性を阻却されるというにあるが、その理由とするところは、概ね以下の如く要約することができる。

一1  まず、公労法一七条一項は、違憲である。即ち、

(一) 労働基本権(争議権)に対してなんらかの制約を加える必要性及び根拠があるとしても、その制約は基本権の本質をそこなわない限度での制約原理でなければならず、又、争議権には、他の人権・自由との関係で一定の調整を受けるという制約が存するとしても、争議行為に伴う他の権利・自由への侵害は千差万別であり、公共企業体等の労働者の従事する業務・職務の内容、争議行為の規模、態様如何によって多種多様となるのであって、一律に論じ得るものではない。従って、その制約が合憲化されるためには、規制の対象・範囲と規制の度合い・方法とのからまりにおいて基本権制限に不可欠な要請たる「必要最小限制約原則」を維持するための条件具備が要求される。

(二) 争議行為の全面一律禁止という方法を採っている公労法一七条一項は、労働基本権保障を前提としての制約どころではなく、又、多くの裁判例における限定的部分的争議行為禁止論が許されるとしても、それが「最小限制約原則」を維持し得るためには、争議行為に対して保護されるべき法益が、争議権の根源的な自由にも優越するだけの価値を持ち、かつ、禁止という形をとらなければ回復しがたい性質のものでなければならない。

(三) ところで、公労法一七条一項の禁止によって保護される法益の実体は、国民の日常生活上の便益の一時的喪失にすぎず、制限違反に伴う制裁は、公労法一八条による一律解雇を可能ならしめており、更に、日本国有鉄道法等公社法との関連で大量懲戒処分の方途を開いているばかりか、刑事弾圧の口実さえ与えているのであってこれは制裁における必要やむをえない最小限のものとはいい難い。又、代償措置の点に至っては、現行代償措置制度は現実には全く機能しておらず、実効性がない。

(四) よって、公労法一七条一項は、前記「必要最小限制約原則」を維持するための条件を全くみたしておらず、基本権に内在する合理的制約とはいいがたく、憲法二八条に違反する。

2  仮に、公労法一七条一項が合憲だとしても、公労法一七条一項において禁止された争議行為であるためには、(1)国民の生命、身体の安全あるいは、これに準ずべき国民の生存にかかわる重要な法益を侵害する切迫した危険のある争議行為であること、及び(2)禁止以外の他の制限の手段、方法によっては右危険を除去することができないことの二つの要件を具備することが必要であるところ、本件争議行為の態様はいわゆる「自主参加ストライキ」、即ち単純不作為の同盟罷業であり、本件争議行為の規模は、国労門司地方本部博多支部に所属し、かつ、国鉄香椎駅、香椎貨車区、香椎機関区に勤務する職員一九一名が五月一八日午前二時から一二時まで職場を離脱して実施されたものであり、本件争議行為が実施されることは以前から報道され、一般国民はその事実を承知していたのであり、本件争議行為の影響は、わずか一九本の貨物列車の運休をもたらしたにすぎないものであったから、本件ストライキは公労法一七条一項において禁止される争議行為には該当しない。

3  従って、本件ストライキが形式上公労法一七条一項違反である点を、被告人の本件詰所への立入り行為の正当性の判断にあたっては一切考慮に入れてはならない。

二  仮に本件五・一八ストライキが公労法一七条一項の禁止に違反する争議行為だとしても、被告人の右立入り行為の違法性阻却の判断にあたっては、公労法違反に対しては民事罰の制裁しかないことにかんがみ、右違反の点を一切考慮すべきではない。

三  そして、被告人の右立入り行為は、連絡転てつ詰所に勤務する組合員に対するストライキ指令の伝達、説得を目的としたもので、それは争議行為に通常随伴する必要不可欠なものであるから、労働組合の目的達成のための正当な活動というべきで、労働組合法一条二項により違法性を阻却されるべきものであるところ、被告人の右立入り目的の正当性の判断にあたっては、これに加えて、当時の国鉄当局による生産性運動の実態を考慮しなければならない。

そもそも、当局による生産性向上運動(いわゆるマル生運動)は、昭和四六年に入ってから最盛期に達し、国労の組合員を同組合から脱退させる目的での管理職による家庭訪問や、前年から各地で組織されたいわゆるマル生グループ(当時の生産性運動の指導教育を受けた者で、ストライキ不参加や国労脱退の意思を表明していた組合員らのグループ)を中心として、国労に対する誹謗中傷が公然と行われるようになり、更に当局側は、国労組合員に対して、昇給・昇格その他の勤務条件面で不当差別を行うに至り、救済命令の申立てや裁判所への訴えも当局側の引きのばしにあう等して、右影響により数万名の組合員数の激減という事態が生じた。そこで、組合幹部である被告人としては、かような当局の支配介入から組合組織を防衛し、団結権を擁護するためには、実効性のない救済手段に頼ってはおられず、ストライキという実力手段に訴えざるを得ず、更に、マル生グループのメンバーを本件ストライキに参加させることが、組織防衛のための最も実効性ある手段だと考えるに至ったので、佐伯に対してストライキへの参加を説得すべく、詰所に立ち入ったものである。

なお、組合が正式にストライキを決定した場合、これに反して就労しようとする組合員に対してストライキ参加の説得をすることは、組合の内部的統制権能の問題であるから、本件ストライキが公労法一七条一項に違反しているかどうかは、右権能に影響を及ぼすものではない。

四  よって、いずれにしても、被告人の本件詰所への立入りは、労働組合法一条二項により違法性を欠くに至るから無罪たるべきである。

(被告人及び弁護人らの主張に対する判断)

公労法一七条一項が憲法二八条に違反しないことは、最高裁判所の累次の判例(最高裁判所昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決刑集二〇巻八号九〇一頁、同裁判所昭和四一年(あ)第二五七九号同四五年九月一六日大法廷判決刑集二四巻一〇号一三四五頁等参照)に説示されているとおりであって、当裁判所もこの判断に従うのを正当と考える。

そして、公労法一七条一項を公共企業体等の労働者の従事する業務や職務の内容・争議行為の規模、態様等に関係なく一切の争議行為を禁止したものと解すべきか否かについては議論の存するところであるが、当裁判所は、すくなくとも国鉄の職員及び組合については、国鉄職員の従事する業務が特に強度の公共性を有する点にかんがみ、ストライキその他の実力行使に出た争議行為を一切禁止したものと考えるべきであると解するから、本件五・一八ストライキは公労法一七条一項に違反するものといわざるを得ない。

しかしながら、公労法一七条一項に違反してなされた争議行為の目的達成のために労働者が行った個々の犯罪構成要件該当行為であっても、労働組合法一条一項の目的達成のためになされた正当な行為は、違法性を阻却するのであって、右正当性の判断にあたっては、憲法二八条の趣旨を充分に考慮したうえで、更に、その行為が争議行為に際して行われたものであるという事実をも含めて、当該行為の目的、具体的態様その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判定しなければならない。

これを本件についてみるに、関係諸証拠によれば、

一  本件詰所は、間口四・九五メートル、奥行三メートル、高さ約三・六メートルのスレート葺プレハブ平家建の建物で、同建物内の東北側の八・七平方メートルはポイント切り替えに従事する職員が連絡事務を取ったり待機したりする事務室であり、同建物内の西南部分五・四平方メートルはこれらの職員の仮眠室となっていて、右両室はスレート壁と二枚の木製ガラス戸によって区切られているが、その施設内に列車の運行計画にかかわる重要な機器類が設置されているわけではなく、信号所に比して、列車の正常かつ安全な運行を確保するために果す役割はそれ程大きくないこと。

二  被告人の本件詰所への立入りの真の目的は、ストライキ不参加の意思を表明していた組合員佐伯義則に対して、ストライキへの参加を説得するためであり、一方田中助役が被告人の立入りを阻止したのは、ストライキへの不参加の意思を予め表明して山下助役に身辺保護を依頼していた右佐伯に対して、被告人が違法ストライキへの参加を説得したり、佐伯を強引に詰所外に連れ出すようなことがないようにしようと考えたためであったこと、

三  佐伯は国鉄香椎駅の操車係で、かつ、国労の組合員ではあったが、昭和四六年三月ころ、東京において国鉄当局によるいわゆるマル生教育を受け、公共性に反するストには絶対に反対するとの考えを持つに至り、本件ストライキに当っても、その数日前から国労香椎分会の三原書記長や被告人らの説得にもかかわらず、頑強にスト不参加の意思を表明堅持し、国鉄香椎駅山下助役にも身辺の保護を依頼したうえ、本件ストライキ前日の五月一七日午前一一時ころから同駅機関区連絡転てつの業務に就き、スト当日の午前一時三〇分に交替要員である高岡秀雄と勤務を交替し、同日午前二時から六時までは仮眠時間になっていたので、就寝すべく本件詰所内の右仮眠室に入り、ベットにカーテンをしめて体を横たえていたところ、被告人が同仮眠室内に入ってきて、スト参加を勧誘、説得し、拒否されても執ようにこれを繰り返えし、揚句は、佐伯がマル生教育を受けた者が全部ストに参加するならば出てもよいがそれが確認されぬうちは出られぬというと、これらの者はほとんど既にストに参加したといい、本件ストに参加すれば希望どおり同人の国労脱退をも認め、また、マル生教育を受けた山方某も必ず参加させる旨言明したため、佐伯はかくなるうえは、被告人に引っ張り出されるようなかっこうでなら本件詰所を出ることもやむなしと決意し、その旨被告人に告げて、被告人に引き出されるようにして本件詰所を出て、ストに参加したこと、

四  被告人の本件詰所への立入りの態様は、営業関係職員の職制及び服務の基準第七条に基づいて国鉄香椎駅長の本件詰所に対する施設管理権を代理行使する田中助役の制止を無視して詰所内に立ち入り、更に同助役の再三の退去通告にも拘らず、同詰所内の事務室を通って奥の右仮眠室に立ち入って、佐伯に対してストライキ参加の説得を続けたものであること、

が認められる。

ところで、前示のように、佐伯は終局的には、被告人から引き出されるようにして詰所外に出るのであれば、当局による処分を免れ得るものと考えて、詰所外に出ることを承諾したのであるが、前述のような諸事情とかようないわゆるジェスチャー戦術をとらざるを得なかったという事実から、佐伯が全くの自由な意思で本件ストライキに参加したものとは認め難いのであって、証人高田義新及び被告人の各供述によれば、事前に佐伯は被告人に対し被告人が説得に来れば山方某のスト参加を前提として終局的にはストに参加する旨の意思を表明していたことが窺い得ないでもないが、証人佐伯義則の供述を仔細に検討すれば、佐伯の右意思表明が同人の真意に出たものとはとうてい解し難い。

そして、被告人の本件詰所内への立入りは、単なるスト突入指令の伝達のみを目的としたものではなく、むしろ、その真実の目的はストライキへの不参加を表明していた佐伯を説得するにあったこと、佐伯のストライキ不参加の意思表明は当局からの強制ないし慫慂によるものでなかったこともいずれも証拠上明らかなところであるが、組合員としては、公労法上違法とされ、しかも民事責任を負わされるようなストライキへの参加を促がす勧誘、説得を受忍すべき義務はないと解されるから、本来佐伯をストライキに参加させるべく説得することが、組合活動上正当な行為といえるかも疑わしいところである。

もっとも、この点につき弁護人らは、佐伯を説得してストライキに参加させることは、当時のマル生運動という背景をふまえれば、国労の団結権防衛上やむを得ないものであったと主張するが、当局の不当労働行為に対しては、公労法に救済手段が法定されているのであるから、まずこれに従って団結権の防衛維持をはかるべきであって、仮に法定の救済手段は実効性がなく、この救済を待っていたのでは、当局の引き延ばしによって、組織の壊滅を拱手傍観する結果になる虞れがあるとしても、世論や国会での議論に訴えて当局の背信行為を問題にすることも国労の組織と影響力から考えて十分可能と認められるから、国労としては、国鉄業務が強度の公共性を有することと公共企業体等の職員及び組合の争議行為が法律によって禁止されていることにかんがみ、かつ、ストライキ等の実力行使が通常国民生活に重大な影響を与えるものであることを顧慮して、これが実行には特に慎重のうえにも慎重を期すべきであるのみならず、その所属の組合員をストライキに参加せしめようとするに当っても、一般私企業の組合の場合とは異なり、単に多数決原理によって参加を義務付けるというのではなくして、常に当該組合員の理解と納得を十分得ることが当然の前提とさるべきであって、いやしくも組合員の理解と納得を欠き、その自由意思に基づく参加たることを疑われるようなものであってはならないのである。

そして、右のようなストライキその他の実力行動に対しては、常に国鉄当局による行政処分がなされる虞れがあるところから、組合員としては、このような実力行動への参加の説得を受忍すべき義務がないこと前述のとおりであるから、仮りに事前に不参加の意思を表明している組合員をストライキに参加させるべく説得することが許されるとしても、それはあくまでも組合員の自由意思を侵さない限度にとどまるべきであって、いやしくも組合員の自由意思を抑圧するようなことは許されないところといわなければならない。

そこで、事前に佐伯のストライキ不参加及び身辺保護願い出の意思を熟知していた田中助役にとっては、組合幹部である被告人が佐伯に対してストライキへの参加を説得すべく詰所内に立ち入ろうとするのを制止し、かつこれを阻止する目的で、本件詰所入口に立ちはだかったのは、当然の処置であって、正当な理由があるというべきであり、これに反して、違法なストライキへの参加を説得する目的で、詰所外からでも容易にストライキへの参加呼びかけが可能であるにもかかわらず、暴力を伴わなかったとはいえ、本件ストライキ突入直前に至って、田中助役の前示のような制止と阻止を無視して本件詰所内に入室し、かつ、再三の退去通告を無視し、しかも、事前の被告人らのストライキ参加の説得を拒否して既に就業状態にあった佐伯の就業上必要欠くべからざる仮眠を妨げたうえ、その自由意思を抑圧するような態様で同人を本件詰所から連行してストに参加せしめた被告人の行為は、弁護人ら所論のような当時の国鉄当局による生産性向上運動の実態を参酌考慮しても、もはや法秩序全体の見地からして社会的相当性を欠き、平和的説得行為としての限界を逸脱したものであって、とうてい正当な組合活動とはいえず、違法性阻却の事由があるとなすことはできない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号(ただし、刑法六条、一〇条に従い、軽い行為時法である昭和四七年法律六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号を適用する)に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内で被告人を罰金二、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用中、証人白石熊男、同佐伯義則(二回)、同高田義新に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

(一部無罪の理由)

本件公訴事実中、第一の事実(公務執行妨害・傷害の点)は、

「被告人は、昭和四六年五月一八日午前二時ころ、福岡市東区大字千早二番地の二国鉄香椎駅構内所在の連絡転てつ詰所において同詰所の警備の職務に従事していた同駅助役田中穰(当時四四年)の胸部を押し、あるいは、同人の右大腿部に自己の右足を押しつけて右田中の右大腿部を同詰所の出入り口の引戸にはさみつけるなどの暴行を加えて、同助役の職務の執行を妨害するとともに、右暴行により同助役に対し、加療約二週間を要する右大腿部挫傷の傷害を負わせたものである。」

というのである。

よって検討するに、当裁判所は以下の理由により、被告人が田中助役に対して公訴事実の如き暴行を加えたと認定するには、いまだ合理的な疑いを払拭できないと考える。

まず、被告人が右足を押しつけて田中助役の右大腿部を本件詰所出入り口の引戸にはさみつけて暴行を加えたとの事実関係について考察するに、右事実を認定する証拠資料としては、ただ田中助役の供述のみが存するに過ぎないところ、被告人が田中助役の右足を引戸の外枠に押しつけるのに用いたとされる足が左右いずれであったかについて、田中助役は、本件直後に捜査官の取調べを受けた際には左足と述べていたが、昭和四六年六月九日に実況見分がなされた後は右足と変更し、同人の証人としての供述内容も、第五回、第六回公判では再び左足となり、第一八回公判では更に供述を変更して右足と述べており、その供述内容に一貫性がない。もっとも、同人は第一八回公判において証人として、左右いずれの足であったかは自己の推測に基づいて述べた旨供述しており、又、当時の緊迫した状況での各行為を逐一記憶している方が不自然であるとの見方があるかもしれないが、後述するようにむしろ田中助役の供述の変転は、公訴事実の如き傷害の発生する蓋然性の高い姿勢を念頭に置いて、説明が合理的になるように、その場その場で供述を修正していったためではなかろうかと推測されるのであって、この点に関する田中助役の供述はいずれもその信用性はきわめて低いものといわざるを得ないのである。

ところで、田中助役が被告人の室内への侵入を防ぐためにとった姿勢がいかなるものであったか、特に田中助役の右足の位置がどこであったかに関しては、証人田中穰(第五回公判期日、以下単に第何回という)の供述によれば、田中助役は本件詰所出入り口付近において被告人の入室を阻止しようとして右足を右出入り口の引戸の外側に置いて少々の力では押しまくられないように構えていた旨供述しているが、右供述部分も、入室阻止の姿勢としては甚だしく不安定で不自然であり、かつ、当時、の田中助役の右足の位置を目撃したと供述する証人江崎道嘉(第一三回)、同川口敏郎(第一五回)、同松島熊男(第一八回)の各供述と対比してもにわかに信用し難い。なお、この点については、当局側の現認要員であった証人下川辺寿(第一四回)は、いくぶん田中証人の右供述に近い内容の供述をしているが、司法警察員作成の実況見分調書の抄本の添付図面によって認められる当時の下川辺寿の立っていた位置を考えれば、たたきの上に立っていた数名の組合員がその視界の妨げになったのではないかとの疑いが生じるのであり、「たたきのところに組合員がいたが、花壇のところにまでかぶってはきていなかったから、田中の足が出ているのが真正面によく見えた。」旨の下川辺証人の供述部分もただちに措信し難い。そして、田中助役の右足の位置について他に田中証人の右供述部分に副う証拠はないから、むしろ、前記江崎、川口、松島各証人の各供述のように、当時の田中助役の右足の位置は右出入り口の引戸の内側であったのではないかと認められる。

してみれば、被告人が足で田中助役の右足を押しつけて同人の右大腿部を本件詰所の出入り口の引戸にはさみつけたとするためには、田中助役が右足の膝を曲げて外側に出しているといういささか不自然な特殊の姿勢でいた場合のみしか考えることができないことになる。

そして、このような場合及び仮に田中助役の右足の位置が田中証人の右供述のとおりだとしても、ともに次のような疑問が残るのである。

検証調書によれば、本件詰所出入り口の引戸は、上部につり滑車が取り付けられており、引戸自体の多少の重量感を感じる程度で容易に開閉できるものであることが認められる。そして、仮に、田中助役が右足を出入り口の引戸の内側あるいは外側に置き、これを曲げて、右大腿部膝上右側部分及び右下肢ふくらはぎ右側部分が引戸の鉄枠に接触するような姿勢をとっていたとしても、被告人が田中助役の右足に、自己の右又は左の足を当てて押しつけた場合には、その押す力が引戸の動く方向に加われば引戸が開く筈であるから、被告人としては、引戸が開かないようにして力を加えるには、その押す力が室外から室内に向けて、レールと直角の方向に近い角度で加えられなければならないと解するのが、経験則に合致するところ、被告人が右足であれ左足であれその足で田中助役の右足に対してこのような力を加えることはまことに不自然で通常の常識ではとうてい考えられないところである。もっともこの点について、田中証人は第一八回公判において、事件当時よりも検証時の方が引戸のすべりが改良されていた旨供述しているが、他方同証人は、つり滑車は事件当時もついており、又、「開閉には特に力を入れることもなかった」旨供述しているのであるから、本件当時の引戸の開閉状況が、検証時に比較して特に支障があったとは認めがたく、又同証人は「引戸が開かないように、室内に力を加えるような格好で立っていた」旨供述しているが、仮に被告人の左右いずれかの足で自己の右足を押されて痛みを感じたとした場合、ことさら引戸を自ら固定させて圧迫状態を継続させることも非常に不自然であるといわねばならない。更に同証人は、圧迫されて「痛い」と数度叫んだと供述しているが、当時現場付近にいた証人佐伯義則(第八、九回)、同高岡秀雄(第一二回)、同江崎道嘉(第一三回)、同川口敏郎(第一五回)、同松島熊男(第一八回)はもとより、証人西川正勝(第九回)、同下川辺寿(第一四回)、同加生亨(第一五回)、同渡辺信之(第一六回)ら国鉄当局側の現認要員であった各証人の中にも、田中助役が「痛い」と叫んだ声を聞いた旨供述した者はいないのである。更に被告人の侵入態様についても、田中証人の検証時の指示説明によれば、被告人が強引に入室した為に、引戸の枠をつかんでいた同証人の右手が引戸から離れた旨説明されているが、現認要員の一人であった証人西川正勝(第九回)は、「石田被告人は田中の右手の下をくぐって中に入った」(四〇項)とか、「田中の右手は、石田がくぐる際にも引戸の方を握っていた」(一三九項)とか供述しており、むしろ被告人の弁解に沿う供述をしていることなども、田中助役の供述内容の信用性を低下させるものである。なお、西川証人は、本件後に脳梗塞になったので記憶を喪失した旨述べているが(一六九項)、その供述がなされるまでの同証人の供述内容を精査すれば、同人が目撃した状況に関する供述は、十分に信用できるものと認められ、又、同証人の「田中の姿勢は、下の方は人の陰でわからない」(一二四項)旨の供述に照らせば、逆に上方の状況は組合員がそれ程視界の妨げとなることもなく、容易に現認できたものと思科される。

以上検討してきたように、田中助役は、自己の記憶の不分明な部分が多いにも拘らず、わずかな記憶の鮮明な部分を基礎として傷害の結果の発生しやすい姿勢を想像し、不合理が指摘されるやすみやかにその内容を修正するという態度で、捜査段階から公判段階まで供述してきたのではないかという疑いが強く、同助役の供述はあまり信用できないばかりか、同助役が右足を本件詰所の出入口の引戸の内側に置いて膝を曲げて外側に出していた場合はもとよりのこと、仮に、同助役の供述する如き姿勢を同助役がとっていたとしても、被告人が左右いずれの足にせよ、これによって田中助役の右大腿部に公訴事実記載の如き暴行及び傷害を加えることが可能かという点については、前記の如き甚だしく不自然で合理的な説明のつかない点が残るのであるから、いまだ同人の供述のみによって、被告人が自己の左右いずれかの足を田中助役の右足に押しつけて暴行を加えたと認定することはできず、他にこれを認め得るような証拠はない。

次に、被告人が田中助役の胸部を押したという事実についても、右事実を認定する証拠資料は田中助役の供述しかないところ、事件直後の取調べでは、この点についての供述はなされておらず、昭和四六年一〇月五日付の検察官に対する供述調書中において初めて被告人が右手で田中助役の体を押した旨供述しているのであり、更に同助役は証人として、第六回公判において、被告人は手首をつかって押してはおらず、スクラムを組むようなかっこうで身体全体で押してきた旨述べており(一六七、一六八項)又、被告人が右手で同人を押したとされる時期についても、同助役は右検察官に対する供述調書中には、石田が右手で私の身体を押し右足で私の大腿部を押した旨供述しているのに、証人として第一八回公判では、足を押しつけられた後、被告人が入室する瞬間に同人の右手が自己の左胸付近に当った旨供述しており(五六項)、その供述に一貫性がなく、この点に関する田中助役の供述部分もにわかに信用し難いものといわざるを得ず、これらのみによって本件詰所への入室に際し、被告人が田中助役の胸部を押した事実を認定することはできない。

また、検証調書添付の写真18ないし20によれば、被告人が田中助役の右腕の下をくぐって後ろ向きに入室する際に、田中助役の右足が一歩後退していることが認められるが、これが、仮に、田中助役が被告人の入室動作によって後退を余儀なくされたためであったとしても、引戸が全開された直後に後ろ向きでかがみ込むようにして田中助役の右腕の下の空間を通り抜けようとした被告人の入室態様に照らせば、被告人としては、目前のすき間をうまく通り抜けようという意図であったと認定するのが相当であるから、この点について被告人に暴行の故意があったと認めることはできない。

なお、田中助役は証人(第五、六回、第一八回)として、被告人は本件詰所へ入室するに当っては、同詰所出入り口付近に立ちはだかっていた田中助役に、まずスクラムを組むような格好で体ごとぐんぐん押してきた旨供述しているが、右各供述は、同人の検察官に対する各供述調書の写中にはその旨の記載が全くないことにかんがみ、かつ、証人西川正勝(第九回)、同高岡秀雄(第一二回)、同江崎道嘉(第一三回)、同下川辺寿(第一四回)、同加生亨(第一五回)、同川口敏郎(第一五回)、同松島熊男(第一八回)の各供述と対比してにわかに信用し難く、他に被告人が本件詰所に入室するに際し、田中助役に暴行を加えたことを認めるに足りる証拠はなく、また、前示認定のように、被告人が本件詰所に入室直前に腹を突き出して田中助役と対峙した際、仮に被告人の腹部が田中助役の腹部にあたったりその他身体の一部に触れたことがあったとしても、社会通念上、右行為をもって暴行となすことはできない。

従って、結局本件においては、被告人が公訴事実第一記載の如き暴行を加えたという事実を認定することはできないので、本件公訴事実中第一の事実(公務執行妨害、傷害の点)については、田中助役の受傷の有無その他の点について判断するまでもなく、犯罪の証明が十分でないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをすることとする。

(結語)

よって、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例